日立のさくら年表

日立の桜の年表

和暦 西暦 主 な 事 項
明治38年 1905 ・久原房之助が赤沢銅山を買収する。その名称を日立村にちなみ日立鉱山と改めて事業を始める。
明治39年 1906 ・採鉱、選鉱設備とともに、本山の製錬設備も増強される。
明治40年 1907 ・角弥太郎が日立鉱山の庶務課長に就任。
・中里発電所が完成する。
・日立鉱山と地元との間で、煙害に関する初の交渉が行われる(入四間、下、笹目集落の夏そば被害)。
明治41年 1908 ・杉室の寺院跡に大規模な製錬所の建設をはじめ、大正元年までに合計10座の溶鉱炉が完成する。
明治42年 1909 ・林学の専門家、鏑木徳二が入社し、研究陣の中心となる。
・農事試験場を日立村大字宮田字福内の面積五反二畝の借地に開設。その後、宮田字繁十作、駒王作、芝内、那珂郡村松などに逐次増設する。
・煙害激化の兆しがあらわれ、草木枯損による土砂流出を防ぐため、煙突(八角煙突)周辺の山の斜面を杉皮で覆うなどの処置をする。
・日立鉱山と地元の交渉により、民有地買収、賠償金の支払、耐煙木苗木の無償配布、農事試験場の設置、300尺煙突の設置などを協定する。
・煙害の地域が日立、豊浦、高鈴、国分、久慈などに広がる。
明治43年 1910 ・東京大林区署から日立鉱山に煙害裸地に砂防植栽をなせとの通牒(つうちょう)がでる。日立鉱山は大島桜を主に、要砂防地約21町歩の植栽を開始する。また、本山旧製錬所付近の煙害裸地37町歩にも大島桜、ニセアカシア、ヤマハンノキなどを植える。
明治44年 1911 ・鏑木徳ニと山村次一が伊豆大島に行き、大島桜の苗木と種子を持ち帰る。
・多賀郡松原町(現高萩市)の農民ら119人が日立銅山煙害救済の請願を貴族院、衆議院、農商務省に提出する。
・国分村の農民600余人が麦の損害補償金の引き上げを求め日立鉱山に押し寄せる。
・神峰煙道(通称むかで煙道)を築くが煙害防止に失敗する。
・種子から大島桜の苗つくりを試みたが、発芽は思わしくなく失敗する。
明治45年 1912 ・大島桜の苗木3000本を、入四間集落に無償配布する。
大正2年 1913 ・政府の命令によリ、俗称・阿呆煙突を築くが、煙害はかえって激化する。
大正3年 1914 ・大島桜の種子から苗木を育てることに成功する。翌4年に3年度栽培の苗木として掘り取られた数量は約120万本に達した。この数量は農場で栽培していた苗木の83八-セントを占める。
大正4年 1915 ・155.7メートルの世界一の大煙突が通煙を開始し、煙害が激減する。(大煙突完成は大正3年未)
・自然回復のため、鉱山付近から周辺山地一帯の植林事業が始まる。これ以後、昭和7年(1932)までの問に1200町歩の山野に延500万木を植林する。このうち大島桜は595町歩に約260万本植樹したものと推定される
・このころから昭和12年度(1937)まで、周辺地域の希望者に苗木を約500万本無償配布する。このなかに大島桜の苗木約72万本が含まれている。
大正5年 1916 ・自家の種子を採取して大島桜の苗木の生産を始める。これにより大島桜の苗木は、すべてを自前で賄えるようになる。
大正6年 1917 ・大島桜の苗を台木として染井吉野を接ぎ木し、その染井吉野の苗木約2000本を社宅、学校、道路、鉱山電車線路沿いなどに植える。(当時の日立鉱山所長は角弥太郎)
大正12年 1923 ・いはらき新聞に初めて日立の桜花についての記事が掲載される。
大正13年 1924 ・日立村が日立町になる。
昭和3年 1928 ・御大典記念行事(昭和天皇即位の記念行事)の一環として、本山から大雄院までの県道沿いなどに染井吉野700本を勤労奉仕により植樹する。
昭和9年 1934 ・大正6年の角弥太郎による染井吉野の植樹を記念して、諏訪台に「桜塚」の石碑が建てられる。
昭和14年 1939 ・日立町と助川町が合併して日立市になる。
昭和20年 1945 ・諏訪台の桜などが戦災をうける。
昭和23年 1948 ・かみね公園の整備が始まる。
昭和26年 1951 ・国道6号から今のけやき通りまでの平和通りの両側600メートルに、国土緑化運動の一環として75本の染井吉野が植えられる。
昭和28年 1953 ・かみね公園が開園する。神峰公園整備促進会が献木運動を行い、桜108本が植えられる。その後も植樹が進む。
昭和30年 1955 1市2町4村が合併して新日立市になる。(翌年には豊浦町則も合併する)
昭和32年 1957 ・かみね動物園、遊園地が開園する。
昭和38年 1963 ・日立さくらまつりがはじまる。
昭和44年 1969 ・助川小学校の校庭に咲く桜の古木が三代桜と命名される。(のちに平成をくわえ四代桜)
昭和49年 1974 ・諏訪のヤマザクラが市の天然記念物に指定される。
昭和52年 1977 ・けやき通りと日立駅までの平和通りに染井吉野を植樹する。これによって、延長900メートルに合計115本の桜並木が完成する。
・日立市の花に桜が選定される。
昭和57年 1982 ・大学通りに日立ライオンズクラブの寄贈によりハ重桜など86本が植栽される。(現存79本)
昭和62年 1987 ・空久保のヤマザクラが市の天然記念物に指定される。
平成元年 1989 ・ひたち巨樹の会により日立のさくら20選が選定される。
平成2年 1990 ・日本のさくら名所100選にかみね公園と平和通りが認定されるる。
平成3年 1991 ・助川山の山火事により、多数の大島桜が焼失する。
・日立青年会議所が煙害対策として植えられた桜に焦点を当てて、市内の桜を見る桜ウオークを実施。参加者250名
平成5年 1993 ・大煙突の2/3が崩壊する。
・住民主体の緑のまちづくりを目的に花樹の会が発足する。
平成7年 1995 ・花樹の会が市内の桜実態調査を実施し、総数約14,000本であることを確認する。(山間部は除く)
平成8年 1996 ・北海道静内町で開催されたさくらサミットで、日立市が正式メンバー(25自治体)として承認を得る。
・日立商工会議所内にさくらプロジェクトが結成される。
・日立市さくらのまちづくり市民会議が発足する。
平成9年 1997 ・さくらのまちづくりを進める市民の会が発足する。
・日立市さくらのまちづくり市民会議が「日立らしさを活かしたさくらのまちづくりに向けて」と題した提言を、日立市長に提出する。
・久慈町観光協会と花樹の会により、みなと町の一角に河津桜5本、修善寺寒桜3本が植える。
平成10年 1998 ・花樹の絵が助川山にヤマザクラ植栽。
平成11年 1999 ・小木津駅の「寒桜」バイオ発芽(メリクロン法)実験開始。同、秋に芽接法で苗木育成を始める。
・「平和通りのさくら保存に関する提言書」を「日立市さくらのまちづくりを進める市民の会」が日立市長に提出。
・“日立のさくら名所と産業遺産を観る”バスツアー(日立商工会議所)
・コミュニティごとに「私の好きな地域のさくら22選地」を決定。
・市制60周年記念事業「さくら、サクラ、桜~なんでもさくら展」開催
平成12年 2000 ・「かみね公園 さくらに関する提言書」作成。市内小中学生、PTA、ほかによる調査報告。
・小木津駅の「寒桜」芽接ぎに成功。
平成13年 2001 ・第一回「日立のさくらを楽しむ講座」開講
・小木津駅の「寒桜」バイオ発芽に成功。
・JR小木津駅構内の「寒桜」を公募により「日立紅寒桜」に名称決定。日立固有のさくらとして〔品種登録〕申請中。登録品種名「日立紅寒」
・3月に「アマノガワ」を国道245号 日製海下門付近に10本植樹。
・4月「第13回さくらサミット」日立市で開催。日本の4大桜ほか、参加自治体がかみね公園に記念植樹。28本
平成14年 2002 ・1月「日立紅寒桜」を小木津駅より日高公民館に移植。
・NHK「小さな旅」“桜の下で”と題し日立のさくらを放映。
・5月かみね公園頂上駐車場周辺と多賀町大学通りの品種調査。(かみね公園頂上駐車場周辺=対象100本11種、多賀大学通り=対象77本、17種)
・12月多賀駅前に「コウカ」1本植える。
平成15年 2003 ・7月 日高公民館の「日立紅寒桜」枯死確認。
・11月30日 日立紅寒桜の二世を「かみあい中央児童公園」より移植。 樹高約3m
・助川小学校「四代桜を守る会」を学区内、卒業生OB他で結成。保護育成始まる。
平成16年 2004 ・「日立紅寒桜」の動向
2月25日 バイオ栽培苗21本結城農場(日本花の会)より市内苗園(助川城址)に移植。
バイオ栽培苗50本結城農場より日立市内に移植し育苗する。
12月6日 バイオ栽培苗7本日高学区内(小学校、横内公園)に植栽。
・多賀大学通りに里ザクラ7本補植。
・12月18日 市民ボランティアにより本山地区山方県道沿線にオオシマザクラ45本植栽。
平成18年 2006 ・3月11日 多賀市民プラザに日立紅寒桜3本を記念植栽。(さくら市民会議)
・4月8日 「日立のさくら祭り」実況 4月15日 「日立のさくら」をNHKより放映。
・8月22日 「日立紅寒」が新品種の桜として農水省より認定される。
登録番号:第14507号、登録品種名称:日立紅寒
平成19年 2007 ・“さくらパートナー事業”始まる。
・3月4日 平和通り、さくら5本更新。
平成20年 2008 ・3月1日 平和通りにソメイヨシノを10本補植する。第2回さくらパートナー事業 補植を含めて123本となる。
・3月11日 “さくらパートナー事業”がNHKから放映される。
・3月14日 かみね公園頂上に日立紅寒2本記念植樹 公園協会50周年記念。
平成21年 2009

 字は「日立紅寒」の推移を示す。