日立市は昭和20年6月10日の空襲、7月17日の艦砲射撃、7月19日の空襲と、3度の攻撃により壊滅的な被害を受けて、市街地が一面焼け野原となったが、戦後の「戦災都市復興計画」により街の骨格となる街路の計画が盛り込まれた。そして今のけやき通りや市民会館通りなどとともに平和通りの計画も作られた。道路幅員36mは、自動車が一般に普及していなかった当時としては驚異的な規模のものであった。 ・正式名称:「県道日立停車場線」 昭和26年12月、市民よりこの道路の名称募集により「平和通り」とする。全長1,050m、道路幅36m。 ・昭和26年4月(1951)、「国土緑化運動」の一環として当時の友末茨城県知事と高嶋日立市l長によって「ソメイヨシノ」が記念植樹された。 写真上 ・同年10月、地元市民の協力により「けやき通り」から国道6号線までの約600mにソメイヨシノを植樹 ・昭和38年(1963)に第一回「さくら祭り」を開催 ・昭和52年(1957)に「けやき通り」から日立駅までの約330mにソメイヨシノ40本を植栽し、平和通り約930mに115本のさくら並木が完成 ・平成2年には、ここ「平和通り」と「かみね公園」を含め「日本さくらの会」より「日本のさくら名所100選」に認定される。 ・平和通りのさくらの衰退が激しく平成18年より更新のため植栽を年次計画として実施。 市の象徴的存在の平和通りの桜を21世紀に向けての保存を目的に平成19年より、サクラパートナーによるさくら補植事業を行い平成22年度までに20本のソメイヨシノが植栽された。 平和通りさくらパートナー植栽地図 平和通りのさくら 平成20年度現在123本。 |
昭和26年4月3日 植樹の様子 昭和26年頃の平和通り |