日立市内の小学校や中学校、高校には、だいたいどこへ行っても桜が植えられていて、入学式を終えるころには満開となっている。そのように子供時代に学校で見た桜が印象に残っている大人は少なくないと思う。あるいは、4月になって桜の花を見ると、新しい気持ちになったことを思い出す人もあるかも知れない。そういう典型的な桜が助川小学校にある。
助川小学校は、天保7年(1836)に水戸藩9代藩士の徳川斉昭が、家老の山野辺義観に命じて築かせた「助川館」(通称、助川海防城)の玄関口に位置している。
助川小学校には、校庭をぐるりと囲むように、125本のソメイヨシノと枝垂桜二本が植えられている。その中のソメイヨシノの1本が「四代桜」(旧名・三代桜)である。その名のいわれは「明治・大正・昭和・平成」の四代を生きてきた桜、ということである。確かにその名のとおり、この桜は長い間の雨や風にさらされて、それに耐えてきたことを無言で語りかけるような、ある種の風格を感じさせる老木である。根元から数本の大い幹が分かれ、それらの幹は上の方に伸びている一方で、そこから斜めに伸びた1本は、途中から水平にどこまでも伸びて行って、ちょうど細長い鉄棒のようになっている。子どもたちにとっては、木登りをし、あるいはぶら下がって遊ぶのに、格好の枝振りである。
この「四代桜」は百有余年のあいだ、どれほど数多くの子どもたちの遊び相手になってくれたことか。そして、子どもたちは「桜」とのふれあいの中から、さまざまなことを学んで大きく巣立って行ったことか。そういう感傷的なことを、自然に想わせる不思議な桜である。
そういう意味で、この助川小学枚を卒業して行った人びとにはかけがえのない「恩師」であろうし、また、学校自身にとっても「偉大なる訓導」といえる大木であろう。これからも末永く生き続けてくれることをただただ願うものである。まさに日立の「名木」といえよう。
樹齢約100年の四代桜の衰えが激し<助川小学校「四代桜」を守る会を結成して原木の樹勢回復工事と共に二世代桜を育成するため、「独立行政法人林木育種センターjの協力により接木を行い種の保存を計画した。その育成に成功した苗木を校庭に植樹。
(平成17年3月8日)